さくらなみ備忘録

都民1年目.通勤電車,夜景,雑記.

カテゴリ:鉄道 > 東京地下鉄

また久しく更新が空いてしまった.7月の3連休に遠出をして大量に写真を撮ったのだが,編集できずにそのままになってしまっている.時系列順の更新は諦めて,8月のあたまにふと撮影に出向いた写真を掲載したい.△2023.08.05 白楽~妙蓮寺横浜に越してからまる5年が過ぎた. ...

 東京における地下鉄の変化は2000年代になっても続いている.大規模な新線建設こそ2006年の副都心線開業以来ないものの,相互直通運転の広域化,座席指定列車の運行,規格の変更を含む車両更新,そして混雑緩和への飽くなき戦いと,何かしらの変化がどこかしらで続いてきた ...

 最近所用で東横線沿線に出向くことが多い.乗り慣れた京急とは異なり15分ヘッドのダイヤが組まれているためはじめはかなり困惑させられたものの,幾度も乗っているうちにコツを掴めてきたような気がしている.この日も東横線沿線での所用を済ませ,久々に夜景でも撮ろうと ...

 先週に引き続き奥沢界隈の撮影記を書いていく.△2022.04.30 大岡山~奥沢(以下同) 今回もう一つの課題であった都営6300形の1次車がやってきた.6300形は計3次に渡って37本が導入されており目黒線の直通系統内では最大派閥である.今後1次車と2次車の置き換えが予定さ ...

 新年度開始から1か月が経過した.思うことは沢山あるのだが,社会で戦う同期たちのことを考えれば自分の苦労は取るに足らないようなものだろうと思う.ただそうは言ってもしんどいものはしんどいもので,学部で就職した同期達に比べadditionalな2年間を過ごすことの覚悟を ...

前回「怪しい電車たち-京急1500形鋼製車- : さくらなみ備忘録 (livedoor.blog)」というタイトルで先行きの不透明な1500形の鋼製車について述べた。今回は同様に今後置き換えが加速していくと思われる営団8000系について述べたいと思う。11号線こと半蔵門線は現在の田園都市線 ...

気づけば大学は夏休みに突入していた。梅雨が明けてすぐのタイミングにも入試やら検定やらが控えており、指を咥えて晴れ間を見上げる状況に嫌気がさしたので全て一段落した7月21日を撮影に一日使おうと決めた。△2021.07.21 妙蓮寺~白楽決めたのは昨年も訪れている白楽界隈 ...

△2020.08.13 白楽~妙蓮寺熾烈を極めた前期が終了し、バイトも一旦盆休み。14日15日には久々に高校時代の級友と旅に出ると決めていたので13日のうちに実家に帰っておきたかった。しかしただ帰るだけではつまらない、12日夜寝たのが既に2時を回っていたにも関わらず、翌朝は ...

△2020.06.21 明治神宮前(原宿)  営団7000系の去就が取り沙汰される中少しずつ画像が出回り始めている.関西圏から引っ越してきた身としては関東で初めて出会ったこの顔の電車に「これが関東か」と度肝を抜かれた記憶があるがそれも早10年以上前の話…系統では大ベテラ ...

△2016.12.09 杉戸高野台~幸手相変わらず懲りることなく2016年の記事を書き続けてみる。これらの画像を撮影していた頃は"A1530S"、"50レ"あたりにしか目がなかったが、改めて振り返ってみると他にも多くの画像が残されていた。まずはあまり作例を見ない08系の画像を掲載。 ...

△2016.10.15 杉戸高野台~幸手確かこの日は通常通り学校があったのだが、登校途中ブツ6か何かを撮影してから向かおうとしており偶然機材を持っていて、朝偶々耳にした8111Fの運行情報を活かしその足で放課後高野台へと向かった記憶がある。この数週間前にも8111Fは伊勢崎線 ...

△2020.03.20 茗荷谷~後楽園日比谷線03系が東京の鉄路から撤退し、いよいよ旧営団地下鉄の面影を色濃く残す0○系シリーズの存在感が危うくなってきたように感じる。既に鬼籍入りしている01系に続き、置き換えの進む02系を撮影しようと撮影地選定を始めたのは昨年の春。それ ...

△2020.03.14 新高島知らず知らずのうちに後継車両が東京入りしている営団7000系、流石に埼玉県まで順光の編成写真を撮りに行く元気はないが、それでも横浜に出入りする姿くらいはパニくりだす前に押さえておきたいと思い、浮世を掻き分け雪の降り止んだ横浜へと繰り出した ...

△2020.02.23 杉戸高野台~幸手1981年に登場した営団8000系は半蔵門線の第1世代車両として、同線の延伸とともに40年近くにわたって活躍を続けてきた。日比谷線第2世代車両の置き換えが進むとともに加熱する高野台フィーバーもそろそろ"burn out"なのではないかと踏み、今回 ...

ターミナル至上主義ともいえる第二次世界大戦以前の風潮はもはや廃れた1960年代初頭、都心の大動脈である山手線周内への乗り入れを画策した東武鉄道は日比谷線の北千住延伸とともに山手線周内への直通運転を開始する。時にして1962年、地下鉄路線と郊外路線の直通運転として ...

△2017.02.11 杉戸高野台~幸手通い詰めたA1530Sだったが、これが自身にとっては節目の1枚となった。最小形態となる5ドア幕車の充当、この日はこのあとやってくる50レ区間快速浅草行きの先頭が検査明けの組成だったり、夕暮れ間近には30000系がやってくるなどアツい列車が多 ...

2度目の東京五輪を控え、大きな変革を迎えている東京地下鉄日比谷線。その2代目車両として1988年に登場したのが営団03系である。当時の営団地下鉄は銀座線向け車両01系、東西線向け車両05系など、前世代の車両を代替するため次世代車両の設計が進行していた。そういった経緯 ...

△2019.10.06 北千住1899年の開業から東武伊勢崎線の0キロポスト地点として路線の発展を見守り続けているのがこの北千住駅だ。1931年には紆余曲折の末正式なターミナルである浅草雷門駅が誕生したものの、戦後の山手線中心となる都市機能開発に後れを取った東武鉄道は、1962 ...

△2019.10.05 中目黒東京における相互直通運転の紘矢となった現東京メトロ日比谷線だが、その建設経緯から現在一般的な20m級4ドア車両を運用せず(することができず)、2世代にわたり18m級3ドアの車両が使用されてきた。しかしながら昨今盛んとなっているホームドアの導入に際 ...

△2019.03.08 一ノ割~春日部埼玉に帰るときは何時も機材を持っていく。重い割にほとんど使わず横浜へ戻ることも多々あるが、今回は3月上旬特有の晴れ間を当てられそうな気がしたので寝坊気味になりながらも昔懐かしい野田線へと向かった。しかしながら思ったより光線の回り ...

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